会社を経営する、ということが私に与えたもっとも大きな影響は、心の底からリアリストでなければならない、という思いを持つようになったことだと思う。
デービット アトキンソンさんのこの記事はリアリストとはなんたるかを本当に感じさせてくれる。
日本人の議論は「のんき」すぎてお話にならない:危機感をもって「本質」を徹底的に追求せよ
https://toyokeizai.net/articles/-/275028?page=6
単なるリフレ派の議論とは違う、包括的な議論がされている。
会社を経営する人が、リアリストになるのはそうでなければ生き延びることができないからだと思う。家族の資産などの援助なしに起業して、それをかつ継続的に成長させるということは大変なことだ。
会社を成長させるには、他者の力を借りる必要がある。どうやってチームメンバーの生産性をあげるか、どうやってモチベーションを保つか。
ファイナンスの力、人間力、実務能力、業界知識、交渉力、教える力(人を育てる力)、課題設定能力、チームのスタンダートを高く保つ力、現状を出来るだけ正確に分析しそれを戦略に反映させる力、ビジョンを描く力(イマジネーション)。起業家はビジネスの総合格闘技を闘っているようなものだ。
アトキンソンさんの議論がリアリスティックなのは、そこに捉えられている要素の広さにある。アカデミックな議論においては、検討領域の要素を限定することが多い。けれど実際の経済や企業運営は数数えきれない要素の複合的な関係をなんとか統合的に理解し、行動プランに落として実行して行くことにある。
多分、こんな感じ。
把握する要素を広くする→現状を分析する→要素の中で鍵となる要素を特定する→その要素と結果に最も影響を与える実行プランを立てる→実行するためのスタンダードを高く保ちながら実行する
だから私は起業家としてたくさん読まなければならないのだろうなあ。把握する要素を多くするために。
まさに情報の限界は思考の限界、思考の限界は行動の限界、行動の限界は成果の限界、である。
2019年4月5日金曜日
2019年1月18日金曜日
ミニマリズムとこんまりメソッドとその後ろのアンチコンシューマリズム
近藤麻理恵さんのNetflixのシリーズが賛否両論ではあるが話題になってる。
これはとてもすごいことだと思う。日本人がアメリカ人のライフスタイルに影響を与えるようなコンセプトを紹介して、一定の影響力を持つなんてことが過去にあっただろうか。禅、日本式の武道、トヨタのカイゼン、など過去にそして今も影響力を持つコンセプトは存在した。でも近藤さんのケースのメジャー具合はなんだかそれらを超えている部分があるように思う。
twitter上で本好きな人たちから、かなりの反発をくらってしまって、大変だと思うけど、近藤さんをサポートする人も多い。話題になったことで逆にシリーズの認知度も上がり、逆に宣伝効果としては嬉しい限りだろう。
近藤さんのメソッドに限らず、ミニマリズムも流行っている。ネットフリックスでも見れるドキュメンタリー、”ミニマリズム”の撮影・編集を務めたMatt D'Avellaさんの’Ground Up Show’ もそれなりに人気だ。
ミニマリズム、Tiny house movement、パーソナルファイナンス界隈のFI(Financial Independence), そしてFire(Financial Independence Retire Early) ときた、北米でのこれらのムーブメントはその土台に、大きな価値観の変化が根ざしているように思える。
それは何かと言うと、コンシューマリズムに対するアンチテーゼである。
つまり物をたくさん持つことがとてもかっこ悪いと言うこと、あるいは物に対する選択を意図的にできないと言うことは、この社会に溢れかえる企業による様々なマーケティングアプローチの奴隷にすぎない、と言うような価値観である。
今の先進国で育った人たちは、戦前・戦後を生きた世代や団塊の世代に比較して貧しさを知らない。食べる物にも困るような貧しさを多くの人が経験していない(当然、極度の貧困はどの国にも存在しうるが、それがマジョリティかどうかと言う話しだ)。この状況はは企業が作り出した、大量生産、大量消費の社会モデルが可能にしてきたことだ。
ミレニアム世代を含む社会の若手が親や前の世代にとって当たり前であったり、評価されていたことを否定することは感情として至極自然なことだ。
そしてこれはCPGメーカーにとって、いや、あらゆる企業にとって無視することのできない大きな消費者トレンドであることは間違いない。
これはとてもすごいことだと思う。日本人がアメリカ人のライフスタイルに影響を与えるようなコンセプトを紹介して、一定の影響力を持つなんてことが過去にあっただろうか。禅、日本式の武道、トヨタのカイゼン、など過去にそして今も影響力を持つコンセプトは存在した。でも近藤さんのケースのメジャー具合はなんだかそれらを超えている部分があるように思う。
twitter上で本好きな人たちから、かなりの反発をくらってしまって、大変だと思うけど、近藤さんをサポートする人も多い。話題になったことで逆にシリーズの認知度も上がり、逆に宣伝効果としては嬉しい限りだろう。
近藤さんのメソッドに限らず、ミニマリズムも流行っている。ネットフリックスでも見れるドキュメンタリー、”ミニマリズム”の撮影・編集を務めたMatt D'Avellaさんの’Ground Up Show’ もそれなりに人気だ。
ミニマリズム、Tiny house movement、パーソナルファイナンス界隈のFI(Financial Independence), そしてFire(Financial Independence Retire Early) ときた、北米でのこれらのムーブメントはその土台に、大きな価値観の変化が根ざしているように思える。
それは何かと言うと、コンシューマリズムに対するアンチテーゼである。
つまり物をたくさん持つことがとてもかっこ悪いと言うこと、あるいは物に対する選択を意図的にできないと言うことは、この社会に溢れかえる企業による様々なマーケティングアプローチの奴隷にすぎない、と言うような価値観である。
今の先進国で育った人たちは、戦前・戦後を生きた世代や団塊の世代に比較して貧しさを知らない。食べる物にも困るような貧しさを多くの人が経験していない(当然、極度の貧困はどの国にも存在しうるが、それがマジョリティかどうかと言う話しだ)。この状況はは企業が作り出した、大量生産、大量消費の社会モデルが可能にしてきたことだ。
ミレニアム世代を含む社会の若手が親や前の世代にとって当たり前であったり、評価されていたことを否定することは感情として至極自然なことだ。
そしてこれはCPGメーカーにとって、いや、あらゆる企業にとって無視することのできない大きな消費者トレンドであることは間違いない。
2018年6月4日月曜日
新商品のマーケティング予算を成長カーブの何時、何に、幾ら、投入すべきか
2017年11月20日月曜日
おクジラさま:知的能力を生き延びるための条件とすることの意味
上映後の対談で、ご本人も仰っていたが太地町の漁師の人々に対する大きな共感をベースにもしつつも、あくまで葛藤する両者の視点をフェアに伝えていく、ということへの努力が映画においても、また上映後の対談においても貫かれていてとても好感が持てた。
捕鯨に対するこの対立を日本(アジア)vs西洋世界という対立軸として描くのではなく、ローカルvsグローバリズムという対立軸に置き換えることで、より多くの西洋世界の人々に両者の視点を共感を持って理解してもらうことに非常に成功していると思う。
上映後の視聴者からの質問の時間に白人男性から質問というか意見表明がされた。彼は「(シーシェパード)の白人の男性が旗のついた棒を持って他国に乗り込み、ブロンドの女性がその地の人々を侮辱する。(カナダあるいは北米において)これだけ原住民の人々の文化や生活を破壊しておいて、まだこんなことをしている。環境保護の活動というのは植民地主義と密接に関係している」というようなことを言っていた。カナダ人の白人男性にこれを言わせるというだけで、この映画がいかに問題の違う側面を見せることに成功している、ということを表していると思う。
佐々木監督は、特にアメリカのドキュメンタリー製作における「自らをヒーロー化して悪者を作り、それを徹底的に悪に仕立て上げる過程で極めてセンセーショナルな表現を行い、視聴者に強い印象を残す」という手法を批判しつつ、自分をヒーローにしたくない、ということを何度も仰っていた。映画およびこの監督のパーソナリティ全体としてこの映画の「フェアさ」を浮きだたせていて、うまいなあ、と思った。
知的能力を生き延びるための条件とすることの意味
この捕鯨の問題について、一つ引っかかるのが、反捕鯨側の論理的な根拠だ。
2015年4月6日月曜日
模倣は企業戦略・戦術の中心になってることが多い
コピーキャット:模倣者こそがイノベーションを起こす / オーデッド シェンカー
飲食業は模倣を前提として成り立っている。本当にオリジナルな素材の組み合わせとレシピでできた料理というのは、ほとんどないだろう。海外で日本食を展開する、というようなモデルは当然だし、競合店同士がお互いをベンチマークしあって、切磋琢磨している行為そのものが模倣によって成り立っていたりする。レシピや提示方法の「コピー」が法的に規制できないのはファッション業界とも似ている。そしてすべてのレシピが長い人間の歴史の中での食文化の蓄積の結果として成り立っていることを考えると、レシピの模倣行為そのものが食文化の発展の過程なのかもしれない。(投資として見た時の飲食業の生産性の低さにはこのことが深くかかわっていると思うが、これについてはまた別の機会に)
この本は、その「模倣」という行為を企業戦略の中心として捉えて解説した本である。そしてその模倣を「うまくやる」ことこそが大切で、イノベーションとはその模倣によって生まれるのだとする。で、そのことをイモベーションと呼んでいる。
イミテーション(模倣)+イノベーション=イモベーション
そして企業にとってより模倣が重要になってきている背景として、グローバリゼーションとアウトソーシングの進化によって競争者が増加、多様化する一方で、情報コストの低下により知識の形式知化が進んでいること、また企業間の提携や社員の移動によって、その移転がさらに容易なっていることを上げている。そして一方で、ブランディングの効力や特許等による形式知の保護は難しくなっている。
これはしごく当たり前のことのように聞こえる。一方、これに真っ向から反対するコメントをジェフ・ベゾスがしていた。ベゾスは明確にコピーをすることの重要性を認識している。World Changers: 25 Entrepreneurs Who Changed Business as We Knew It の中で彼は次のように言う。
飲食業は模倣を前提として成り立っている。本当にオリジナルな素材の組み合わせとレシピでできた料理というのは、ほとんどないだろう。海外で日本食を展開する、というようなモデルは当然だし、競合店同士がお互いをベンチマークしあって、切磋琢磨している行為そのものが模倣によって成り立っていたりする。レシピや提示方法の「コピー」が法的に規制できないのはファッション業界とも似ている。そしてすべてのレシピが長い人間の歴史の中での食文化の蓄積の結果として成り立っていることを考えると、レシピの模倣行為そのものが食文化の発展の過程なのかもしれない。(投資として見た時の飲食業の生産性の低さにはこのことが深くかかわっていると思うが、これについてはまた別の機会に)
この本は、その「模倣」という行為を企業戦略の中心として捉えて解説した本である。そしてその模倣を「うまくやる」ことこそが大切で、イノベーションとはその模倣によって生まれるのだとする。で、そのことをイモベーションと呼んでいる。
イミテーション(模倣)+イノベーション=イモベーション
そして企業にとってより模倣が重要になってきている背景として、グローバリゼーションとアウトソーシングの進化によって競争者が増加、多様化する一方で、情報コストの低下により知識の形式知化が進んでいること、また企業間の提携や社員の移動によって、その移転がさらに容易なっていることを上げている。そして一方で、ブランディングの効力や特許等による形式知の保護は難しくなっている。
これはしごく当たり前のことのように聞こえる。一方、これに真っ向から反対するコメントをジェフ・ベゾスがしていた。ベゾスは明確にコピーをすることの重要性を認識している。World Changers: 25 Entrepreneurs Who Changed Business as We Knew It の中で彼は次のように言う。
We have always had the mentality that we are going to be obsessed over our customers and not obsessed with our competitors. There are many advantages to being a competitor -focused company. You can pursue a close-following strategy. You don't have to go down a bunch of blind alleys when you are inventing. You can just follow the leader. Let them spend all the investment resources to go down the blind alleys and when they do something that works you can follow them quickly. That can be an effective business strategy but that is not what we do.このように、本書の著者の意図をしっかりと理解した上で、しかしそれでも下記のように彼は言うのだ。
If you base your business strategy on things that are going to change, then you have to constantly change your strategy. But if you formulate your strategy around customer needs, those tend to be stable in time.(p67)これはアマゾンが必ずしも模倣をしていない、ということではない。彼らが生み出すサービスは同じようなサービスを提供している企業のサービスをベンチマークしているし、模倣もしているだろう。しかし、経営者の態度というか情熱としてどういう企業を作るのか、どういう勝ち方をしたいのか、という動機の違いが最終的な企業のあり方に大きく影を落とすのだなあ、ということを彼のコメントを見ながら思わずにいられない。
ラベル:
フードビジネス,
戦略/ビジネスモデル
2014年10月6日月曜日
リベラルって何だろう
世界がすごい動いている。荒れている、と表現する人もいるかもしれないけど、歴史好きな人なら、今の国際情勢が歴史的な大転換の中にあることを思って興味を持たずにいられないだろう。今から100年後の人々が今の時代をどう判断するのか、想像するだけでもかなり興味深い。
で、こういう動いてる時代には人々の政治的なスタンスのようなものも揺れがちだ。
私は不勉強な人間なので、子供のころ(というかごく最近まで)無常件に好きだったジョン・レノンのイマジンが歌われた時代背景とか、その時大統領だった悪役ニクソンが結構大変な中で頑張ってたんだなあ、とか今になってわかることも多い。
ミュージシャンの政治的メッセージにありがちな、どちらかというと感情に訴えるやり方でとにかく、暴力はいけないよね、というメッセージに共感して思考停止してしまうには社会の変化が大きすぎるのと、悪役に仕立て上げられている勢力も細かく見ていくと彼らなりの理由があったり、そしてそれは切実なものだったりするので、絶対的な悪というものは世の中には存在しないんだなあ、ということを今更思ったりする。どちらの側がより多くの人の平穏な幸せを守ったのかは、視点を変えると全く違って見えることもある。
こういう時には哲学・思想の原書をたくさん読みたい気分だけど、残念ながら今はそういう身分ではないので昔読んだこの本を引っ張り出してきても一回読んでみた。
アメリカのリベラルの歴史は、日本が平和を享受しながらぼーっとしていた時代に、当事者として安全保障という切実な問題に向き合いながら、社会に自由と寛容とフェアさを持たせようとしたアメリカ人の葛藤の歴史でもある。
そしてたぶん今の日本の左派に必要なのは、現実と哲学的な理論との折り合いをつけながら、新たな理論構築ができる哲学者なんだろうなあ。ロールズ的な。そういう意味で、ロールズがアメリカの政治において果たした役割はとても大きい。彼の理論が後世においてどれだけ批判されようと、この価値は消えないだろう。
アメリカの現代思想・仲正 昌樹こういう時には哲学・思想の原書をたくさん読みたい気分だけど、残念ながら今はそういう身分ではないので昔読んだこの本を引っ張り出してきても一回読んでみた。
アメリカのリベラルの歴史は、日本が平和を享受しながらぼーっとしていた時代に、当事者として安全保障という切実な問題に向き合いながら、社会に自由と寛容とフェアさを持たせようとしたアメリカ人の葛藤の歴史でもある。
そしてたぶん今の日本の左派に必要なのは、現実と哲学的な理論との折り合いをつけながら、新たな理論構築ができる哲学者なんだろうなあ。ロールズ的な。そういう意味で、ロールズがアメリカの政治において果たした役割はとても大きい。彼の理論が後世においてどれだけ批判されようと、この価値は消えないだろう。
2014年7月20日日曜日
北米フードトレンド:ファーマーズマーケットという新しいトレンド
カナダに最初来たとき、なんだかファーマーズマーケット多いなー、と漠然と思っていた。日本で気づかなかったのは馬車馬のように働いたサラリーマン的生活のせいかと思っていたら、どうやら違ったらしい。
たとえば下記のリストによると、トロントでは全部で32のファーマーズマーケットが開かれている。
http://www.torontoisawesome.com/lifestyle/community-culture/awesome-toronto-farmers-markets/
東京では、このサイトによると4つ程度しか存在してないようだ。
http://eftune.info/?page_id=247
人口も、また地理的にも東京よりはるかに小さなトロントでこれだけのファーマーズマーケットが開催されている。
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