2014年2月27日木曜日

TorontoLife; 日本食の掲載数はイタリアンに次いで2位

日本食って流行ってるなあ、と日頃感じるんだけど、実際どうなのか定量的にみる方法ないかなー、と思ったのでToronto Life という雑誌の'Eating and Drinking the Gourmet Guide to Ecerything ' という特集号で、"Toronto's TOP 350 Restaurants"と銘打たれた記事の日本食レストランの数を数えてみた。(ちなみにそのうち7件がラーメン専門店)

ちなみにこの雑誌、ニューヨークで言えばニューヨーカーみたいな位置づけの雑誌で(異論あるかもだけど)、こういうレストランの特集号はトロントの「食にうるさい」"foodie"と呼ばれる人たちがたくさん読んだと思われる。


レビューの基準は下記。

http://www.torontolife.com/toronto-life-restaurant-reviews-explained/


2014年2月20日木曜日

人生を組み立てるための戦略論

世界を変えたいなら一度"武器"を捨ててしまおう・奥山真司

「戦略論の原点」がとてもよかったので、久しぶりに奥山さんの本を買ってみた「戦略論の原点」ほどの感動はなかったのと、戦略論のエッセンスを集めた本(それがこの本の良さなのだが)であるため、思考の深さのようなものをあまり学習することができなかった。戦略論の原点を読んでしまっていたために、新しい発見もあまりなかった。 よく言えば、身近な事例で戦略論について非常にわかりやすく理解できるのだが、悪く言えば居酒屋談義っぽさがあるという感じだろうか。


それにしても奥山さんのこの領域の翻訳本の多さは驚きだ。日本には他に人材がいないのか、とも思うのと同時に奥山さんのこの分野に対する情熱のようなものを感じる。


さて、この本は戦略論を使って人生や事業をどう考えたらいいのか、という本だ。

2014年2月18日火曜日

戦略論の原点

戦略論の原点/ J.C. ワイリー、Joseph Caldwell Wylie

これはほんとおもしろい本。時間がない人は最後についている奥山さんの解説だけでも読んだらよいのではないかと思う。


地政学系の戦略論をどう経営に生かすのか、ということについていまいちピンと来ていなかったのだけれど、この本でそこが非常に明確になった。


ワイリーは歴史上のさまざまな戦略家の中で、次の7人だけが戦争の理解に貢献し、そのアイディアの力によって影響も与えたと言う。(孫子が入ってないが奥山さんの解説によるとリデルハートがかなり孫子に影響されているので、ワイリーも間接的に影響を受けているという)


1. マキャベリ

2. クラウゼヴィッツ( 陸上理論)
3. マハン(海洋理論)
4. コーベット
5. ドゥーエ( 航空理論)
6. リデルハート
7. 毛沢東(ゲリラ戦理論)

ワイリーは、戦略論に存在するこれらのさまざまな理論を統合する試みにチャレンジしている。



2014年2月6日木曜日

戦略論:孫子とクラウセヴィッツの違いとソフトバンクの孫さん

米陸軍戦略大学校テキスト 孫子とクラウゼヴィッツ /マイケル・I・ハンデル

孫子とクラウセヴィッツの違いを考えることで、より戦略に対する理解を深める、という本。戦争における戦略の本なので、経営に生かせない部分もたくさんがあるが、個人的には、孫子の有名な「戦わずして勝つ」という方法論(?)に対する現実的な突っ込みがもっとも大きな発見だった。


<欺瞞について>
クラウセヴィッツと孫子を比較したときに、大きな違いの一つは「欺瞞」に対する態度だ。「欺瞞」とは「インテリジェンス・情報」を使って、相手を欺くことでいかに自分にとって有利な状況を作り出すか、ということだ。これに対する認識が二人は違う。孫子は「欺瞞」を非常に評価するのに対して、クラウセヴィッツはむしろ「非重要なもので逆効果」であり、また掛けであり他に方法がないときの最終手段だと言う。これは孫子の「闘わずして勝つ」という方法論に対する理想と現実をよく説明している。孫武がこの考え方をもっとも理想的なものとして位置づけていたのに対し、クラウゼヴィッッはそれはほとんど例外的なものであり、実際問題として戦闘に代わり得るようなものは普通存在しないと考えていたようだ。
孫武の「武力行使は最後の手段である」という主張は、当時の中華の地に広まっていた儒教やそれに大きく影響を受けていた政治文化の裏返しともいえるであろう。フェァバンク教授の説によれば、孫武もまた初期の儒教の影響を受けており、社会的な風潮における精神性の優位という価値観を共有していたであろうとしている。この考え方(ある種のドクトリン)は、戦国時代を通じて世に出た諸子百家の思想と同様に、中国後代において出現する中国の王朝それぞれに引き継がれ浸透していくことになった。肉体を使う戦いについての栄光を認めることなく、儒家の考え方としては君子たるものは、自己の人格を形成するために古典教養に励み、ついには物理的な力によらずして目的を達成するものであるとする。この考え方が、皇帝の人としてのあり方を定め、この考えに則ることが皇帝の理想型であると位置づけ、古典においてもその旨が散見される。(P81) 
しかしながら、これは、西洋にくらべて中国史において武力戦が少なかったということではなく、中国における戦争の論理が、西洋と大きく異なるということでもない。中国では、実際のところ、理想と現実、理論と実際の間に大きなギャップが存在していたにすぎないのである。(P82)
残念なことに孫武(リデル・ハートも含め)は、最高と思われる間接アプローチをどのように見極めて実践するかについては具体的な説明をしていない。間接アプローチはいったん敵に見透かされてしまうと、逆に直接アプローチの脅威に曝されてしまう。つまり成功したものすべてが間接アプローチに分類されてしまうことになるのである。これは老練なビジネスマンが息子に対して次のようなアドバイスをするようなものである。「よいか息子よ、お前に成功の秘訣を教えてあげよう。安く仕入れて、高く売るのだ。そうすれば成功をおさめることができる」。しかし、このようなある種の自明の理が有する問題点は、抽象的すぎて実際の道具として用立てることができないところにある。(P87)
ここで言っている間接アプローチとは欺瞞も含む実際の戦闘以外の方法論のことを指すようだが、最後のパラグラフはリーダーシップ論で言われていることと似ている。例えば、後付でいろんなことが言えるけれど、成果に対する貢献度の高さをリーダーシップにおくことはなんとなくそれっぽいが、本当はどうかわからない。後付で成功したものの要因すべてをリーダーシップに起因させることも可能だ。