2019年4月5日金曜日

リアリストへの道程

会社を経営する、ということが私に与えたもっとも大きな影響は、心の底からリアリストでなければならない、という思いを持つようになったことだと思う。

デービット アトキンソンさんのこの記事はリアリストとはなんたるかを本当に感じさせてくれる。

日本人の議論は「のんき」すぎてお話にならない:危機感をもって「本質」を徹底的に追求せよ
https://toyokeizai.net/articles/-/275028?page=6

単なるリフレ派の議論とは違う、包括的な議論がされている。

会社を経営する人が、リアリストになるのはそうでなければ生き延びることができないからだと思う。家族の資産などの援助なしに起業して、それをかつ継続的に成長させるということは大変なことだ。

会社を成長させるには、他者の力を借りる必要がある。どうやってチームメンバーの生産性をあげるか、どうやってモチベーションを保つか。

ファイナンスの力、人間力、実務能力、業界知識、交渉力、教える力(人を育てる力)、課題設定能力、チームのスタンダートを高く保つ力、現状を出来るだけ正確に分析しそれを戦略に反映させる力、ビジョンを描く力(イマジネーション)。起業家はビジネスの総合格闘技を闘っているようなものだ。

アトキンソンさんの議論がリアリスティックなのは、そこに捉えられている要素の広さにある。アカデミックな議論においては、検討領域の要素を限定することが多い。けれど実際の経済や企業運営は数数えきれない要素の複合的な関係をなんとか統合的に理解し、行動プランに落として実行して行くことにある。

多分、こんな感じ。
把握する要素を広くする→現状を分析する→要素の中で鍵となる要素を特定する→その要素と結果に最も影響を与える実行プランを立てる→実行するためのスタンダードを高く保ちながら実行する

だから私は起業家としてたくさん読まなければならないのだろうなあ。把握する要素を多くするために。

まさに情報の限界は思考の限界、思考の限界は行動の限界、行動の限界は成果の限界、である。

2019年1月18日金曜日

ミニマリズムとこんまりメソッドとその後ろのアンチコンシューマリズム

近藤麻理恵さんのNetflixのシリーズが賛否両論ではあるが話題になってる。


これはとてもすごいことだと思う。日本人がアメリカ人のライフスタイルに影響を与えるようなコンセプトを紹介して、一定の影響力を持つなんてことが過去にあっただろうか。禅、日本式の武道、トヨタのカイゼン、など過去にそして今も影響力を持つコンセプトは存在した。でも近藤さんのケースのメジャー具合はなんだかそれらを超えている部分があるように思う。

twitter上で本好きな人たちから、かなりの反発をくらってしまって、大変だと思うけど、近藤さんをサポートする人も多い。話題になったことで逆にシリーズの認知度も上がり、逆に宣伝効果としては嬉しい限りだろう。

近藤さんのメソッドに限らず、ミニマリズムも流行っている。ネットフリックスでも見れるドキュメンタリー、”ミニマリズム”の撮影・編集を務めたMatt D'Avellaさんの’Ground Up Show’ もそれなりに人気だ。

ミニマリズム、Tiny house movement、パーソナルファイナンス界隈のFI(Financial Independence), そしてFire(Financial Independence Retire Early) ときた、北米でのこれらのムーブメントはその土台に、大きな価値観の変化が根ざしているように思える。

それは何かと言うと、コンシューマリズムに対するアンチテーゼである。
つまり物をたくさん持つことがとてもかっこ悪いと言うこと、あるいは物に対する選択を意図的にできないと言うことは、この社会に溢れかえる企業による様々なマーケティングアプローチの奴隷にすぎない、と言うような価値観である。

今の先進国で育った人たちは、戦前・戦後を生きた世代や団塊の世代に比較して貧しさを知らない。食べる物にも困るような貧しさを多くの人が経験していない(当然、極度の貧困はどの国にも存在しうるが、それがマジョリティかどうかと言う話しだ)。この状況はは企業が作り出した、大量生産、大量消費の社会モデルが可能にしてきたことだ。

ミレニアム世代を含む社会の若手が親や前の世代にとって当たり前であったり、評価されていたことを否定することは感情として至極自然なことだ。

そしてこれはCPGメーカーにとって、いや、あらゆる企業にとって無視することのできない大きな消費者トレンドであることは間違いない。