最近、語学学習のことを考えていて以前に読んだこの本を再度読んでいる。以下転載。
帰国子女で、自身も小説家であるこの人は、日本文学がとても好きなのだなあ。その愛情故に、日本語というものを介して成熟してきた日本近代文学が、将来英語という普遍語の台頭の前に、その魅力を維持する十分な使用頻度を人々の間に持つ事をできずに衰退していくであろうことを嘆いている。言葉は修辞学的機能をもつものなので、翻訳された文学は、もはや別ものだとする。たとえば漱石のよさは日本語で読まないとわからない。
The most significant answer, I’d suggest, is the growing importance of monopoly rents: profits that don’t represent returns on investment, but instead reflect the value of market dominance. Sometimes that dominance seems deserved, sometimes not; but, either way, the growing importance of rents is producing a new disconnect between profits and production and may be a factor prolonging the slump.(最も意味のある答えは、ますます重要になってくる「独占的レント」である、ということだ。利益は投資に対するリターンを表しているのではなく、市場における占有度を反映している。その独占は相応の価値のある場合もあれば、そうでないときもあるが、どちらにしても重要度を増す独占的レント(*1)が「利益」と「製造」の間に新しい断絶を生み出しており、それが長引くスランプの原因になっていることも考えられる。)