2013年7月6日土曜日

事業家になるのにコンサルティング経験は本当に役に立たないのか

不格好経営―チームDeNAの挑戦/南場 智子

この本、おもしろい。南場さんが人間味にあふれた素敵な人で、きちんとチーム作りをしながら会社を成長させてきたのがよくわかる。成果を出せる人なら、こういう人の下で働くのはきっとすごく楽しいはずだ。実際の意思決定の瞬間についても勉強にもなる。多分いろんな人がすでに書評を書いているはずなので、ここでは「コンサルティングファームで働くということが、事業家として役に立つのか」ということについて書いてみたい。私はまだ事業家としては駆け出しなので、将来違う風に思うかも知れないが、今の自分が持っている仮説を文章で残しておこうと思う。



この本の中でコンサル的な業務遂行について書かれている下記については同意、もしくは一部同意する。

1.  意思決定のプロセスに巻き込む人は限定的にして、達成に対する自信を示した方がチームとして突破力がつ く
 検討に巻き込むメンバーは一定人数必要だが、決定したプランを実行チーム全員に話すときは、これしかない、いける、という信念を前面に出したほうがよい。本当は迷いだらけだし、そしてとても怖い。でもそれを見せないほうが成功確率は格段に上がる。事業を実行に移した初日から、企画段階では予測できなかった大小さまざまな難題が次々と襲ってくるものだ。その壁を毎日ぶち破っていかなければならない。迷いのないチームは迷いのあるチームよりも突破力がはるかに強いという常識的なことなのだが、これを腹に落として実際に身につけるまでには時間がかかった。(P204)
※これは、経営者だから言えることだと思う。リーダーシップスタイルの違い、というような次元の話ではない。

2. 事業家にとっては「正しい選択肢を選ぶ」ことより「選んだ選択肢を正しくする」ということが重要であり、コンサルタントとして求められることとは逆である
不完全な情報に基づく迅速な意思決定が、充実した情報に基づくゆっくりとした意思決定に数段勝ることも身をもって学んだ。コンサルタントは情報を求める。それが仕事なので仕方ない。これでもか、これでもかと情報を集め分析をする。が、事業をする立場になって痛感したのは、実際に実行する前に集めた情報など、たかが知れているということだ。 本当に重要な情報は、当事者となって初めて手に入る。だから、やりはじめる前にねちねちと情報の精度を上げるのは、あるしレベルを超えると圧倒的に無意味となる。それでタイミングを逃してしまったら本末転倒、大罪だ。事業リーダーにとって、「正しい選択肢を選ぶ」ことは当然重要だが、それと同等以上に「選んだ選択肢を正しくする」ということが重要となる。決めるときも、実行するときも、リーダーに最も求められるのは胆力ではないだろうか。(P205)
※これは、よく言われることではあるけれど、難しい。怖いから、いろんな情報を集めたくなる。それが自分個人だけであれば自分の労力の無駄遣いですむが、人によっては部下を使ってこれをやっている人がいる。自分自身がこれをやっていないか、ということにはかなり注意する必要がある。
そして、目の前の事や現状の業務に捕われず「正しい選択肢を選ぶ」ことを支援することは外部者であるコンサルタントの価値そのものだ。
経営者の態度としてどちらが適切かは状況によると考える。成熟産業の大きな変革の時期には「正しくする」ことよりも「正しい選択肢を選ぶ」ことが必要になることもある。アージリスのダブルループラーニングとはまさにこのことだ。

3. 事業家に必要なのは「胆力」でコンサル業務ではこれは身に付かない
ほかの諸々は誰かに補ってもらうことが可能だが、リーダーの胆力はチームの強さにそのまま反映される。それが、クライアント(顧客企業)に「役立ったか」、クライアントをInpressしたか(感心してもらえたか)を四六時中気にしていたコンサルタント出身者にとってはとても大きなジャンプなのだ。コンサルティングは胆力が養われやすい場ではない。(P205) 
※個人的に思うのは、規律が厳しい会社の営業系の仕事って胆力が養われるように思う。

4. 大手コンサルティング会社の顧客は同様に資金が潤沢な大手企業が多く、現金に関する感覚は身に付かない 
 加えて、少し具体的な話だが、大手コンサルティング会社の場合、資金繰りに苦労する企業をクライアントとすることがほとんどないため、現金に対する感覚は研ぎ澄まされない。タクシーや夜食などを含め経費はふんだんに使うし、また寳沢な給料をもらうためか、浪費癖もつきがちだ。このようにオカネの怖さを知らずに育つことは、起業の場合、大きなハンディキャップになりうる。(P205) 
以上に加えて、南場さんは指摘してないけど、そのコンサルファームの業態が会計系などの専門家業務の場合は下記の現象があると思う。

5. 高度に専門性の高い業務は網羅性が高く、論理的で無機質な結論に至ることが容易であるが、事業運営ではそうはならない

コンサルタントと名乗る人たちの中にはいろんな人がいて、最も人口が多いのは会計系(あるいは元会計系)の会社で働いていていたり、情報システムの構築に携わっている人たちだ。(一般的な人が思い浮かべるような企業戦略に携わっている人たちは、割合でいうとごく少ない。)こういう人たちの業務は一定の前例やルール(法律など)によって多くの事が決まっていて、それを知っていたり同じような事例を過去に見聞きしたり、参加したりしたことがあることを単に専門性と呼んでいる人もいる。この業務の素質は受験勉強の優劣とかなり相関があると思う。いやいや、情シスやその他の仕組みは戦略そのものですよ、戦略に基づいて構築したり変更するから戦略やってますよ、という言い方もできるかも知れないが実態はそうでないことが多いように思う。こういった業務は論理性を起因とした無機質な結論を導くことがしやすい。どんな仕事にもクリエイティブな働き方をすることは可能だし、実際クリエイティブな人はどんな職場にもいるが、上記のような業務が一定の枠の中で意思決定・提案されざるを得ないことを考えると、本質的には過去の経験や事例の再適用やその組み合わせの高度なロジック構築によって仕事がされているのが通常ではなかろうか。

ところが事業運営では情報や選択肢に網羅性がない前提で(情報が欠如しているか、情報を得るためのコストに対する対価が見合わないことが明らかな場合がある)、複雑かつ携わる人たちの感情に配慮しながら意思決定したり物事を進める必要がある。これらは上記のような仕事をし続けてきた人からすると至極気持ちの悪いものだ。人によっては事業運営上発生する「割り切れない」諸々の事柄について論理性を適用できないことを理由に、経営における重要度を下げてしまう人もいる。結果として、こういう環境だけにいると複雑な事柄をマネジメントしていく能力は身に付かない。

しかし、それでもコンサルティングファームで働くことは起業するのに役に立つ要素があると考える。

1. 業務遂行のベストプラクティスの体験
ホワイトカラーの生産性に関する学習の機会としてコンサルティングファームは優れている。あるいはこれは海外でのマネジメントを一定体験していない(あるいはしていてもうまくいっていない)日本企業と外資系企業の違いだと言えるかもしれない。ただ、コンサルティングファームという業態は、サービス業にも関わらず(だからこそ)業務遂行の効率化を大まじめに、真剣にやっている産業の一つだと思う。海外展開するにあたって業務の効率化が必須だったのと、生来の論理性追求の文化の中でそれが非常に研ぎすまされたのだろう。対象となるのは非常に広いことで、エクセルのモデリング時のお作法や、ドキュメントの保存に置けるルール、部下への指示の仕方、ドキュメントのレビュー方法、ミーティングの仕方など日々の細かい業務も対象になるが、本質的に重要なのは計画時の精密さと責任所在の明確さだ。

PDCAという言葉がある。もともとはPDSだったらしい。See(確認)の意味だったところにCheck(評価)とAction(改善)が入っている。でもこれっておかしくないか?Seeで確認してうまくいっていなければPlanに戻ってそこを変えるべきなのに、なんだかあいまいなCと、Doとどう違うのか、これまたあいまいなActtion を入れることで当初のPlan の絶対化が起きる。Actionを改善とするのであればDo とActionで扱っている仕事の大きさが違うのではないか。むしろ大きな枠組みのPDSの中により小さなPDSが入っていて、それぞれについてPDSが発生する、という説明の方がしっくりくる。それをCheckなんかを入れたせいで、Planまで振り返らずに、小さなループで改善活動を行い、うまくいっていなければ、Doが悪い、やり方が悪い、あるいはがんばっていないからだ、となる。こうやって精神論でどうにか押し込むやり方は広く見られる。クリス・アージリスやピーター・センゲに言わせると「学習しない組織」とでも言うのだろうか。製造現場ではこのやり方が適切な場合もあるだろうが、ホワイトカラーの仕事はPlanそのものが問われることも多い。

このPlanの弱さ、軽視が長時間労働にもつながっている。従業員はサービス残業をするのが当たり前なので、従業員の時間を使うことに対して経営者がコストを感じない。異常な長時間労働が発生しているのは明らかに仕組みの問題なのに、業務が建て込んでいるのをみて「そんなの土日にやればよくない?」と言う言葉をストックオプションや株を持たせているわけでもない新卒初任給の新卒社員に言ってしまう中小企業経営者の感覚は、人材マネジメントの力として世界で通用するものではない。

南場さんはサラリーマンとしてはマッキンゼーでしか働いていないので、一定の効率を求める仕事の仕方を当たり前のようにやっているはずだ。恐ろしいほどの非効率さの中で仕事をしたことがないかもしれない。したがって彼女が造る会社も論理性に裏打ちされた効率の高い業務遂行をしている可能性が高い。同じ長時間労働をさせるにも、効率を高めた上でさせるのとそうでないのでは結果に大きな差がでる。どんな仕事をするにしても、もし海外を目指すならば海外展開の長い歴史を持ち、勝ち続けている企業で働いてみることは大きな価値がある。

2. シグナリング効果

DeNAは創業時にソネットおよびリクルートから5,000万円ずつの出資を受けている。これは南場さんがマッキンゼーのパートナーでなかったら起きたことだろうか。

下記のウーマンズ・サミットのパネラーの半分(二人だけど)がマッキンゼー出身であるということは、同社の採用力なのか、育成力なのか、人的ネットワークなのか、あるいは七光りなのかわからないが、そこに何もない、というのは難しいように思う。
将来、海外の会社で働くことを考える人は、もしあなたが世界の人々にとっての日本の無名大学に入ってしまっているなら、就活の際に名の知れた外資系(グローバル企業)に就職することで、一定のクレジットを得ることができるかもしれない。どんな会社で働くか、ということより実績が大事だ、どんな働き方をしたかが大事だ、という議論もあるかもしれないが、すくなくともレジュメを送った段階で会ってもらえるかどうかは、そういうわかりやすいシグナルが威力を発揮することもある。

3. 優秀な人材へのアクセス
南場さんは渡辺さんや川田さんをマッキンゼーからリクルーティングしているわけだが、これはマッキンゼーでの仕事を通して信頼関係を醸成した結果である。ベンチャーがマッキンゼーに合格するレベルの人材を採用するのは至難の業だ。そしてここでも「元マッキンゼーパートナー」はシグナリング効果を採用応募者に対して発揮しているはずだ。

そしてなにより、南場さん自身がマッキンゼーで育ち、起業家として成功している、ということが最も大きな反証ではないか。本人がなんと言おうがそのキャリアを持った人が会社を興し、成功している、という事実の方が確かなように思う。マッキンゼーは社会人として彼女を育て、その土台の上に彼女はDeNAを造ったのだ。
また、事業会社の採用に携わる経営者である南場さんは、自社へ優秀な人材を惹き付けなければならないというミッションを負ったスポークスパーソンであり、彼女のどのような場所での発言も将来の社員に向けた、綿密な戦略に基づくポジショントークの要素を排除仕切れない。むしろ、そうでないのであれば経営者としては難しい。だから彼女の言う事を単純に真に受ける前に自分の頭でしっかり考えた方がいい。

そして最後に、南場さんは素敵な人だなあ、と思った一言。

優秀な人のキャラクター
ただ、自分が接したすごい人たちを思い浮かべると、なんとなく「素直だけど頑固」「頑固だけど素直」ということは共通しているように感じる。たとえば新規事業が行き詰まっているとき、誰々に会って話を聞いたらどうか、××という他国のサービスを使い込んでぷたらどうか、などというアクションに関するアドバイスをすると、必ず素直に、徹底的にやる。ところが、ターゲットユーザー層をずらしたほうがよいのではとか、機能を思い切って半分に減らしてみたらなど、結論に関するアドバイスをしても心底納得するのに時間がかかる。いろいろ試したがやっぱり賛成できない、よく考えた結果、やっぱり自分はこう思う、と言ってくることもある。労を惜しまずにコトにあたる、他人の助言には、オープンに耳を傾ける、しかし人におもねらずに、自分の仕事に対するオーナーシップと思考の独立性を自然に持ち合わせている、ということではないかと思う。(P216) 

歯向かってくる部下を「自分の仕事に対するオーナーシップと思考の独立性を自然に持ち合わせている」とおもしろがるあたり、さすがだ。自我を忘れて「ことに向かう」経営者の姿を見せてもらった。

不格好経営―チームDeNAの挑戦/南場 智子

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