2013年8月24日土曜日

日本語が亡びるとき/水村 美苗

 日本語が亡びるとき/水村 美苗

最近、語学学習のことを考えていて以前に読んだこの本を再度読んでいる。以下転載。 

帰国子女で、自身も小説家であるこの人は、日本文学がとても好きなのだなあ。その愛情故に、日本語というものを介して成熟してきた日本近代文学が、将来英語という普遍語の台頭の前に、その魅力を維持する十分な使用頻度を人々の間に持つ事をできずに衰退していくであろうことを嘆いている。言葉は修辞学的機能をもつものなので、翻訳された文学は、もはや別ものだとする。たとえば漱石のよさは日本語で読まないとわからない。



日本の小説は、西洋の小説とちがい、小説内で自己完結した小宇宙を構築するのには長けておらず、いわゆる西洋の小説の長さをした作品で傑作と呼べるものの数は多くはない。だが、短編はもとより、この小説のあの部分、あの小説のこの部分、あの随筆、さらにはあの自伝と、当時の日本の<現実>が匂い立つと同時に日本語を通してのみ見える<真実>がちりばめられた文章がきら星のごとく溢れている。それらの文章は、時を隔てても、私たち日本語を読めるものの心を打つ。しかもそういうところに限って、まさに翻訳不可能なのである(P227)

「地球のありとあらゆるところで人は書いていた。」
言葉の隆盛とは、国力や覇権、または話す人の人口の多さのみにによって決まるものではなく、より多くの人々が「思考」するときの言葉であること、学問するための言語であることが必要で、英語はもはや一番強い「国語」ではなく、「普遍語」としての地位を確立しつつある、とする。中国の台頭と、中国語を話す人口が多さをみて、これから中国語を学ぶ人は多いかもしれない。しかし、日本人が中国人と通商する際にはたしかに中国語を使う機会があるかもしれないが、中国人とロシア人が話すときは英語を介する。

学問とは、なるべく多くの人に向かって、自分が書いた言葉が果たして<読まれるべき言葉>であるかどうかを問い、そうすることによって、人間の叡智を蓄積していくものである。学問とは、<読まれるべき言葉>の連鎖にほかならず、その本質において<普遍語>でなされる必然がある(P144)

また、日本文学に限らず、文学そのものの衰退について、「人間とはなにか」という普遍的な問いを考えるのに、文学に変わって科学がその役割を大きく果たし始めているからだ、という指摘は新鮮だ。

そして、学校の先生は、7章の「英語教育と日本語教育」を読んでみるとよいと思う。子供達が将来直面する世界を想像することを助けてくれる。
「国語」としての日本語を護る、つまり優れた日本文学が生まれる土壌を護るために、国語の教育を強化すること、「国語」における格差をなくすこと、しかし英語の特に読む能力の最初のとっかかりをきちんと与えることを提案している。

-目次-
1章 アイオワの青い空の下で「自分たちの言葉」で書く人々
2章 パリでの話
3章 地球のあちこちで「外の言葉」で書いていた人々
4章 日本語という「国語」の誕生
5章 日本近代文学の奇跡
6章 インターネット時代の英語と「国語」
7章 英語教育と日本語教育


普遍語(Universal Language)、現地語(Local Language),国語(National Language)
「国語」は「普遍語」の翻訳から成立した言葉だから、当然「現地語」よりも「世界性」をもつ。だが、それだけではない。「国民国家」の言葉である「国語」とは近代の産物であり、近代の技術のみが可能にする「世界を鳥瞰図的に見る」という視点を内在した、真に「世界性」をもつ言葉なのである(P196)(P186)

非西洋の国として日本が近代国民文学を早期に発達させることができた理由を、次のようにしている。
1.近代以前の日本の書き言葉が現地語としては比較的成熟していたこと
朝鮮列島などに比べて距離が遠く(上海までの距離はドーバー海峡の25倍)、中国の科挙制度の影響を導入に失敗したが故に受けずにすみ(科挙制度を入れると優秀な人は漢文の世界に住むことになり、国語が発達しない)、結果として現地語である日本語が発達した。

2.近代以前の日本にはすでに「印刷資本主義」があったこと
江戸時代には書き言葉としての日本語の成熟とベネディクト・アンダーソンが言う"印刷の資本主義"が江戸時代に発達していた(印刷技術はなかったが、資本主義が発達しており、文字を読めなければ市場に参加できず、資本主義の発達は識字率の向上を伴う)。

3.近代に入って、西欧列強の植民地にならずにすんだこと
19世紀から20世紀にかけ、西洋の帝国主義がアジア・アフリカを駆け抜け、非西洋のほとんどが植民地になったが、ならなかったはのは、ユーラシア大陸では朝鮮、シャム、アフガニスタン、オットマン帝国の一部、アフリカ大陸ではエチオピアのみ(リベリアは入れず)と日本の他には5つしかない。
日本海が存在したこと、極東にあったこと、地理的な偶然がなければ、日本の独立は保たれなかっただろう。そうすると漢字、ひらがな、カタカナを基本とした「国語」としての日本語は誕生しなかった。そして、国語の誕生が日本近代文学の誕生を可能にした。

文部省は、一時漢字の廃止を決定したらしいが、それが定着しなかった理由は、

日本語から漢字を排除したいというのは、理念的な目的でしかなかった。それにひきかえ、西洋語を日本語に翻訳して理解するのは、独立国日本の存亡をかけた急務であった。(P186)

日本は植民地化を逃れたおかげで、早期に「国語」を確立することができ、結果として日本語で高度な学問ができ、翻訳機関としての大学をもつことができた(植民地の優秀な人材は本国の大学にゆくので、現地語の大学ができにくい)。一方で現代の日本人は日本語で高等教育が受けられるがために、英語に使う機会を他のアジアの人々より持たない、というのは皮肉なことだ。

同時に、当時の日本人がいかに貪欲に、翻訳による西洋の情報を求めいたかということにも思いをはせている。「叡智を求める」ことが人間の性であること、叡智を求める行為そのものは本来「無目的性」を持つものであることも、福沢諭吉の例を引いて書いてある。

文学の衰退については、
1.科学の急速な進歩

「人間とは何か」という、私たち人間にとってこの上なく大切な問いーその問いに答えるのに、小説なんぞを読むよりも、最新の科学の発見を知ること、ことに、遺伝学や脳科学の最新の発見を知ることのほうがずっと意味を持ってきている。「自分とは何か」という問いも、まずは、DNAを調べたり、脳をスキャンしたほうが客観的にわかる。(P234)
2.文化商品の多様化
文化商品=娯楽と芸術を兼ねる商品
アメリカの連続ドラマは「人はいかに生きるべきか」という問いをするにあたっての文学的な総合芸術である。
3.大衆消費社会の実現
流通価値>文学価値(読まれるべき価値)


・外交と英語について
見過ごせない指摘は、一国の防衛政策は、ますます予防外交であり、政策対話が必要になる中で、英語による説明力不足が決定的にネガティブなインパクトを与える、ということだ。満州事変から第二次世界大戦までの日本人の英語力の不足を、当時のイギリス人やアメリカ人は指摘している。満州事変の調査を担当したリットンは妻に宛てた手紙で中国の指導者達の英語は実に正確だった、フランス語も話した。一方で日本の指導者の英語はひどいものだった、と書いたらしい。


 日本語が亡びるとき/水村 美苗

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