2014年5月11日日曜日

ユダヤ人をユダヤ人にしているものと、日本人を日本人にしているもの

日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア) という本を書いたのは山本七平さんだったけれど、最近、ユダヤ教の大きな祭日にあたるPassoverというお祭りを初めて経験したので、そのことについて書いてみよう。

ユダヤ教には、いくつか重要なお祭りがあるのだが、その中の一つがPassoverと呼ばれるものだ。その由来はWikipediaによると下記のようなものだ。



イスラエル人は、エジプトに避難したヨセフの時代以降の長い期間の間に、奴隷として虐げられるようになっていた。神は、当時80歳になっていたモーセを民の指導者に任命して約束の地へと向かわせようとするが、ファラオがこれを妨害しようとする。そこで神は、エジプトに対して十の災いを臨ませる。その十番目の災いは、人間から家畜に至るまで、エジプトの「すべての初子を撃つ」というものであった。神は、戸口に印のない家にその災いを臨ませることをモーセに伝える。つまり、この名称は、戸口に印のあった家にはその災厄が臨まなかった(過ぎ越された)ことに由来する。
これ、子供のころにアニメで学んだような気がする。あのアニメは何だったんだろう。。。今になってキリスト教やユダヤ教のことを学ぶときにあのアニメの記憶がとても役に立っている。

で、このPassoverは1週間続くのだが、その時には家族が集まって食事をする。ごちそうだ。ちなみに、この時期には炭水化物はマッツァと呼ばれる粉と水だけでできた薄いクラッカーのようなものしか食べてはいけない。エジプトから脱出するときにパンを発行させ膨らませる時間がなかったため、これを食べたことを忘れないためだという。


食事の際には各自にハーガダーと呼ばれる小さな冊子が配られる。このハーガダーにはユダヤの人々がエジプトで苦難の時代を過ごし、かつ海をモーゼが割ったりしながらエジプトから逃げ、エルサレムにたどり着く物語が書かれている。


食事の前にこれをみんなで読み合わせる。全員が交代で読んでいくのだ。そしてユダヤ教による彼らの歴史を学ぶ。それが2日目も続けられる。そしてこの同じ本を彼らは毎年使う。驚いたのはそれは日本の仏教における読経のようなものではなく、質問と対話によってその意味合いをきちんと噛みしめながら、儀式が進められることだ。日本のお葬式で聞くお経の意味をほとんどの日本人は理解しない。それはあくまで音に過ぎない。ところがユダヤの人々にとってこのセッションは、単に宗教の儀式でもなく、彼らの民族としての歴史に深く根差した教育の一環として厳然と存在しているのである。

そして世界中に散らばる多くのユダヤ人がこの儀式をやっているという。これは驚くべき努力だ。これを何千年も続けてきたユダヤの人々の継続する力の強さについて非常に感銘を受けた。

人間の歴史においては他民族からの迫害によってそのアイデンティティをなくした民族はたくさん存在したはずだ。彼らは強い方の民族によって同化され、その一部となって生き延びただろう。その過程で文化はおろかアイデンティティも失われただろう。

ユダヤ人の歴史にも多くの迫害の歴史がある。そして彼らはそれを忘れないように、ユダヤ教の儀式の中にその歴史教育を織り込み、長い間守ってきたのだ。「ユダヤ人」というアイデンティティを守るために彼らが注いできた気の遠くなるような努力は相当なものだ。

彼らはそうやって、強いものに同化されることを防いできた。そうしないと同化されていただろう。他の多くの民族と比べてユダヤ人の非常にユニークな点はこの同化されない能力にあるのではないかと思う。

でも、そのことは他の民族に対して、己の差異を際立たせる機能を持つ。皮肉なことだが、ユダヤの人々がその歴史の中でしばしば迫害の対象になってきたのはこの能力が原因になっているところもあるかもしれない。同化されて時間がたてば、完全にではないだろうが昔の差異は薄れていく。あるいは身分の違いとして社会の中に取り込まれていくこともあっただろう。けれど自らのアイデンティティを非常に強く守り続ける集団はいつまでも異質なものとして社会の中で認識される。

このことを考えると、日本人が日本人である、ということがユダヤの人々に比べるといかに自然発生的に起きているか、ということを思わざるを得ない。ハンチントンは「文明の衝突」の中で日本を「日本文明」として他のアジアの国々が属する「中華文明」から切り離した。

(下記はWikipediaより抜粋)
  • 西欧文明 - 8世紀に発生し、キリスト教に依拠した文明圏である。19世紀から20世紀は世界の中心だったが、今後、中華、イスラム圏に対して守勢に立たされるため団結する必要がある。
ということで、ハンチントンによると日本は「孤立文明」になっちゃってるわけだけど、これ別に日本人が日本文明なるものをすごい守ろうとしてきたからではない。たしかにどの時代にも保守派の人たちは存在するので社会の変化に対する一定の抵抗みたいなものはどの時代にもあったはずだけど、その激しさはユダヤの人々の例をみるとかなり弱い。

むしろそんなことしなくても守れてきちゃった、というのが実際のところではないだろうか。それにもっとも影響しているのはユーラシア大陸から一定の距離をもち、かつ一定の大きさを持つ島であり、かつ太平洋側にも大きな海しかない、という特異な地理的な環境だろう。

「民族」について考えるとき、文化的なそれと国民国家としての民族が自然に一致して、この点については呑気にいられる日本人と、国籍は違っても世界中で「ユダヤ人」としてのアイデンティティを守り続けるユダヤ人というのはその成り立ちが大きく違うんだなあ。

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