2014年4月28日月曜日

ブサイクなデザインなのに、なぜ売上が上がるのか

 お客のすごい集め方/阪尾 圭司

ウェブサイトのデザインは日本と欧米で違う、ということが言われることがある。たしかに日本のサイトのデザインはなんだかなー、と思うことも
多い。でも実際、欧米のデザインもなんだかなー、はある。


少し前に流行ったこの記事。

日本のウェブデザインはなぜこんなにも世界と違うのか?」
http://thebridge.jp/2013/11/why-japanese-web-design-is-so-different

の上記の分析は非常に示唆に富む部分がある一方で、なんとなく読んでて気持ち悪いなあ、ということを感じていた。なんでかなー、と考えていて次の二つのことを混ぜて議論しているからだ、と思った。


1. 見た目としてのデザイン

2. 使う側の経験としてのデザイン

デザインの定義をWikipediaで調べると下記の記述がある。 

<狭義のデザイン>
狭義には、設計を行う際の形態、特に図案や模様を計画、レイアウトすることで、芸術美術的な意味を含んでいる。
<広義のデザイン>人間の行為(その多くは目的を持つ)をより良いかたちで適えるための「計画」も意味する。人間が作り出すものは特定の目的を持ち、それに適うようデザイナー(設計者)の手によって計画されるのである。デザインの対象は、衣服印刷物工業製品建築などにとどまらず、都市人生計画にもおよぶ。物や環境を人が自然な動きや状態で使えるように設計する工学、あるいは、人の物理的な形状や動作、生理的な反応や変化、心理的な感情の変化などを研究して、実際のデザインに活かす学問という意味において、人間工学と共通している。考慮すべき要因には、機能性、実現性、経済性、社会情勢など、目的を実現することに関わる全てが含まれる。
こうやって考えると、上記二つのデザインは下記のようになる。

1. 見た目としてのデザイン→狭義のデザイン

2. 使う側の経験としてのデザイン→広義のデザイン、UIやUXを考えるようなこと

上記の記事は1. 見た目としてのデザインについて議論しているのだが、一部2.についても議論している。

2つのデザインについて、違いは日本人がデザインを理解していないからとか、言語の壁があって新しいテクノロジーの導入が遅れるから起きているのではなく、結果につながるからそういうデザインになっている、という部分もあると思う。で、ケースとしてはブサイク(1.狭義のデザイン)だけど、2.の広義のデザインは頑張っている、というケースはあると思う。

あるいは今あるデザインの上に業務や組織構造が作りこまれていて、もともとのデザインの発想を変えるほどの変化は変化するコストに対して割に合わないのかもしれない。どちらにしてもウェブサイトのデザインはいろんな理由があってそうなってるはずで、実際の作ってる現場からしたら「そっちのほうが売れるんだよ」とか「いろいろ考えてみて効率がいいんだよ」というところではないだろうか。逆に言うと欧米では日本のようなデザインでは結果につながらないことも多い、ということでもある。


しかしこの
1. 見た目としてのデザインの違いだが、考えてみるととても面白い。ホワイトスペースを上手に使ったデザインのあり方が日本人にとって馴染みがないわけではない。上記の記事の筆者も禅に触れているが、たとえば和食の会席料理の盛り付けからは優れたホワイトスペースの活用の技を見ることができる。ではこれがなぜウェブサイトではそうならないことが日本ではよく見られるのだろう。

さて、この本はウェブにとどまらず、紙のフライヤーなどにおいての顧客からのレスポンスをいかに上げるか、ということがテーマだ。上記の定義でいうと1. 見た目としてのデザイン(狭義のデザイン)の話だ。
著者はすべての広告媒体が下記の4つの要素を含んでいる必要がある、という。

1. 結果(Result)

2. 実証(Proof)
3. 信頼(Credit)
4. 安心(Security)

ここで大切なのは、自社あるいは商品がブランド認知度においてどのステージにあるか、ということだ。ブランド力がなければ上記4つについて明確に記載して伝える必要がある。ところが強いブランド力があれば、ロゴをつけるだけで伝わる項目がある。


ブランドの価値とは3.信頼と4.安心について、特に伝えなくてもロゴを見てもらっただけで伝わる能力を持っている、ということだ。


ということは、3.信頼と4.安心を省いたスペースに美しい写真を配置できたり、ホワイトスペースをつくることができる。


逆に言うと、ブランド力がなければ1-4すべて明記する必要があるので、美しい写真なんて置く場所がなくなるし、ホワイトスペースも作りにくい。つまり、その広告はブサイクになるのだ。


広告の目的は成果を出すことなので、ブサイクでも1-4をきちんと伝えなければならない。そのために作られたフライヤーを「ブサイク」と批判することに意味はない。


こういう風に考えると、ウェブサイトのデザインも日本だからとか海外だからとかではなく、その会社のステージあるいは戦略の違いが原因になっている、と考えるほうが妥当なように思える。アメリカ人が作っているamazon.com も広告は多いし、ごちゃごちゃ観は高い(一方で楽天に比べるとはるかに優れた2. 使う側の経験としてのデザインを持っている)。そういう意味でいうと、上の記事では下記は妥当だと思う。ECサイトはより多くの商品を見せることに効用があるので当たり前といえば当たり前かもしれない。

広告戦略 – ウェブサイトは単なるツールというよりも、多くの日本企業にとっては広告プラットフォームであり、企業のメッセージをできるだけ多くの消費者に届けるための場である。そのため、多くのウェブサイトは詰め込める限りの情報を載せる。インタラクティブなツールというよりも、むしろパンフレットのようなものだ。
ただ、いかに伝えなければならない情報が多くても1. 見た目としてのデザイン(狭義のデザイン)として優れたものにすることは不可能ではない。トロントでその点うまいなー、と思うのはウェブではないが、Chocosolというフェアトレードのチョコレート屋さんのパッケージだ。

たとえばこのコーヒーのパッケージ。


このパッケージは下記のように書いてある。
”これはただの一袋のコーヒーではない。これは社会的に公平でエコな食の仕組みに参加する方法なのだ。この袋の中のコーヒーはオアハカ(メキシコ)とオンタリオ(カナダ)との間の友情の象徴的な副産物だ。それは生産者への最大限の誠意とともに収穫、ローストされている(それより下が見えなくて読めない)”



すごい文字量なのだが、それがデザインの一部として取り込まれている。しかも同時に非常に強いメッセージを伝えることができている。見事だなあ。ちなみに彼らのチョコレートはとても好きだ。


 お客のすごい集め方/阪尾 圭司

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