2014年2月27日木曜日

TorontoLife; 日本食の掲載数はイタリアンに次いで2位

日本食って流行ってるなあ、と日頃感じるんだけど、実際どうなのか定量的にみる方法ないかなー、と思ったのでToronto Life という雑誌の'Eating and Drinking the Gourmet Guide to Ecerything ' という特集号で、"Toronto's TOP 350 Restaurants"と銘打たれた記事の日本食レストランの数を数えてみた。(ちなみにそのうち7件がラーメン専門店)

ちなみにこの雑誌、ニューヨークで言えばニューヨーカーみたいな位置づけの雑誌で(異論あるかもだけど)、こういうレストランの特集号はトロントの「食にうるさい」"foodie"と呼ばれる人たちがたくさん読んだと思われる。


レビューの基準は下記。

http://www.torontolife.com/toronto-life-restaurant-reviews-explained/





カテゴリーの中で国や地域が基準になっているものを並べてみると下記のようになる。
一番数が多いのがイタリアンで、日本食は33件で2番目に多い。意外なのがフレンチが4件と、とても少ないこと。でも確かに「今日はフレンチ食べよう」と気軽に考えることって日本でもあまりない気がする。
それぞれに5段階の星がつけられていて評価がされているのだが個人的にはあまり納得度が高くない。

Italian (44)
Japanese (33)
American (17)
Chinese (17)
*International (16)
Canadian (15)
Mexican (10)
Korean (9)
Middle Eastern (7)
Spanish (7)
British (5)
Caribbean (5)
Indian and Sri Lankan (5)
Vietnamese (5)
French (4)
Greek (4)
Peruvian (3)
Thai (3)
Colombian (2)
Ethiopian (2)
Malaysian (2)
Persian (2)
Portuguese (2)
Argentine (1)
Filipino (1)
German (1)
Hungarian (1)
Mauritian (1)
Moroccan (1)
Scandinavian (1)
Singaporean (1)

で、その中には日本人の経営ではない、お世辞にもおいしいと言えないラーメン屋さん(ラーメンの味はするのだが、スキー場の売店のようなクオリティのラーメンを提供しているお店)も載っている。これだけみるとトロントでは確かに日本食が流行っているのかもしれないが、評価結果を見ていると日本食の評価基準が日本人と同じである気があまりしない。

最近、日本のメディアでは日本食を海外に!みたいな記事をたまに見るのだけれど、なんというか方向をすこしずらすともっとうまくいくのになあ、と思うときがある。これを戦略の階層で考えると、技術などに着目した下層の施策が目立つ。例えばこういう記事。

“モノマネ”日本食レストランの隣に出店せよhttp://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20130723/251443/?ST=print

たしかに、北米にある日本食レストランはひどいお店も多い。だしの入っていない、みそを溶かしただけのお味噌汁とか、固くてゴムのようなお寿司とか経験したことがある人もいるはずだ。
けれどそれに対抗して、これが本物の日本食だ!と叫んでもエスニックの範疇から抜けられない限りはスケールはできない。

しかも上記の記事では遺伝子組み換え大豆をすごい押してるけど、GMOは健康への影響よりもその農業という産業全体への悪影響が嫌われて、北米やヨーロッパではかなりダサい存在になっている。「遺伝子組み換えでない」大豆がふつうに食べられる日本の状況のほうが優れていると思うけどなあ。


もっと言うと、そもそも「日本食文化を世界に!」みたいな世界観(ビジョン)だと普遍性がなくて日本人以外は共感しにくい。


食文化の輸出には、成功したアーティストをベンチマークするとよいと思う。例えば村上隆さんは「芸術起業論」の中で「リトルボーイ展」における日本文化の解釈について下記のように言っている。





 芸術起業論 / 村上隆


原爆が投下されて、日本人の心にはトラウマができてしまった。日本はアメリカの傀儡国家であり続けたために、主体性を保持できずに「戦争」「国家」の判断はアメリカなしで動けないままでいます。主体性を抜き取られたがゆえに、アメリカの管理下にあまりにも平和な日々を送ることができていた。そんな日本の芸術がオタク文化であるという正真正銘のリアリティを、欧米にもおもねらずに伝えられたのですから。(P234)
今はアメリカもリベラルな都市に行くと同時多発テロやイラク戦争の影響で、「勝ち」だけではない雰囲気がかっこいいとされているわけです。
そういうところに負け組の長たる日本人が行くと、「負け文化はこう組織化するのがきれいなんだよ」とか教えることができたりするかもしれません。(P240)
また彼はお客さんが喜ぶ作品のポイントは現行の欧米美術界のルールに根ざしていることを指摘し、下記の要素を含んでいるとする。

  「新しいゲームの提案があるか」
  「欧米美術史の新解釈があるか」
  「確信犯的ルール破りはあるか」


必要なのは「北米の文脈」で「ラーメン文化」や「日本食」を定義しなおすことなんだろう。日本人としてはトロントでおいしいラーメンが食べられるのは本当にありがたいなあ、と思うと同時に、トロントにとどまらずにもっと発展してほしいな、と思う。


「おいしいラーメンを作る」「素材にこだわる」「これが本物のラーメンだ」とか最下層の技術レベルのことだけで戦っていると、コンセプトを真似されたり、そもそもコアな層にしか理解されなかったりするだろう。


戦略の階層でもっと上のレベルのことを考えるとどんなことができるだろう。そういう意味で素晴らしいブランド構築の事例としてmomofukuとKinforlkの事例をそのうち紹介したい。

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